命は二の次・・・
それより自分が
大事だ・・・・・!!
by赤木しげる
「天」17巻よりホントはまた違う言葉でいこうと思ったのだが、このセリフは福本伸行先生がこの間の「爆笑問題のススメ」で取り上げた名ゼリフ。
てわけで
1月の一言に続き赤木の(正確には1月のは赤木のセリフじゃないけど)これになった。
赤木の立場になると上のように少し極端な話になるが、一般人に当てはめるなら
「自分の得を捨てて自分の何かを守る(by福本伸行先生)」ということである。
福本先生曰く、これは10代辺りの頃、誰もが経験する事ではないかという。
例えば友人がからまれてるのを見かけたりとかしたときに自分も痛い目にあると分かっていながら助けに行ったり、損得抜きにして心の中で
「こうあるべきだ」と思っている自分でいようとすることが大事だという。
実際はいざ上のような状況に立たされたとき、行こうと思いつつも関わるのがイヤでスルーしてしまう人も多くいるだろう。そしてそのことを後に「行くべきだった」後悔し打ちのめされるだろうが、もしそのときそういった後悔の気持ちが失われたらそれは問題ではないかと思う。
というような話を福本先生はされていたわけだが、ぐっと極端になった赤木の場合はどうか。
上のセリフは「天」のまさにクライマックスである17巻で
53歳の赤木しげるの口からでた言葉である。(「天」では他に
「死ぬことは問題ない。だが俺が俺でなくなるのはご免だ」といっていたりもする(本文はもっと長いのだが、独断でまとめました))
しかし、その青年時代を描いた「アカギ」でも、彼はその言葉通りに生きている。最近でいうとアニメにもあった丁半賭博の場面。
アカギが出た目を的中させながら暴力を背景にねじ曲げさせようとした倉田組に対しアカギは真っ向から挑む。
普通に考えてみればたかがサイコロの目に命をかけるなどバカげている。しかしアカギにしてみればまさに自分が自分であるための勝負。
あのまま安岡達が来なければ間違いなく斬り殺されていただろうが、赤木にとっては刃物で脅され、実際腕を斬られたことで、出た目を相手のいうとおりにしてしまうこと、「赤木しげる」でなくなってしまうことの方がイヤだった。彼が言ったとおり「たとえ世界をまたにかけるような極悪な権力者が現れても」自分を貫く。貫けないなら死んだ方がいい。
極論だが彼はずっとその極限を生きてきた。
逆に「天」の主人公(といっても主役は赤木に持ってかれた感はあるが‥‥)天貴史はどんなに往生際が悪くても「勝ちにこだわる」という。
この二人の差異は後の死生観でも表れるが、天曰く「赤木さんと同じ生き方をすることが意志を継ぐことじゃない」。赤木の思っているところは「自分の流儀を大切に」。
一件真逆に見えるこの二人、実は同じなんだよという話。
長ったらしくなってしまいましたが‥‥書いてて思い出したこと。
どうでもいい武勇伝ですが、
5年ほど前、電車の中で
意味不明なステップを踏みながら女性に迫るおっさんからその女性を助けたことがあります。
未だに謎なあのおっさん‥‥‥なんだったんだろ?
スポンサーサイト